2012年11月27日

鹿鳴春・いたや

主に1970年代、80年代にお世話になった「青春」?「家族」の思い出の味である、大分の食物屋さんがいつのまにか何点かなくなっていたので、アナログ時代とともにこのまま記憶も葬り去られるのもなんなので・・・
私はこの思い出を無きものとされてしまう気がしました
ならば と筆を執った次第にございます
私がこの出来事*に抗う術(すべ)はひとつ
この思いを記すことでございます
 ※ドラマ 「JIN-仁」 橘 咲 (綾瀬はるか)さんの台詞より/* この出来事=歴史の修正力
人間は古代パピルスの時代から・・・いや、もっとそれ以前から文字に情報を託して後世に伝えることで発展してきました。日本語教師としても常日頃、文字や言葉の重要性を痛感させられています。
・・・ということで、デジタルに記録として残すべく、当時の回想がてらメモを以下に。

鹿鳴春

ろくめいしゅん。中華ファミリーレストランで結構大きな店内だった。レジの横に、お子様向けのオモチャ売り場やアイスクリーム、ガムが売られている、よくあるファミリーレストランの形(今で言う「バーミヤン」のような感じ)だが、実家が近くだったこともあり、家族の誰かかが誕生日の時などに夜、家族で食事に出かけた思い出のレストラン。鶏の唐揚げやカタヤキソバ、餃子が好きだった。子供にとっては何でもおいしいものである。木耳(キクラゲ)を初めて食べたのも鹿鳴春だったような気がする。
鹿鳴春の所在地は、南大分中学校の横、現在は「うえお乳腺外科」となった、〒870-0854 大分県大分市羽屋188-2あたりにあった。跡地が病院になったことからも、駐車場含めた鹿鳴春の大きさが偲ばれる。
南中(なんちゅう)の運動会の日などに昼飯タイムに親と入ったこともあった記憶がある。接客責任者の年配の女性が何となくこちらの顔も覚えてくれていて、いつも丁寧に接してくれたことを覚えている。「うえお乳腺外科」が2002年10月開院なので、鹿鳴春はおそらく2000年頃までは営業していたのではないか、と推測する。
ネット上では2004年9月のもので、「確か熊本の親会社が潰れて「鹿鳴春飯店」って名前で自主営業してました。」という記述は見つけた。

いたや

洋食レストランの「いたや」さん。こちらも2011年1月に閉店したらしい。こちらはネット上にも記事が散見でき、店主(渡辺正勝さん)の、確かに見覚えのある顔が掲載されていた。↓
www.oita-press.co.jp/localNews/2011_129513964573.html
所在地はトキハデパートの裏にある「いたやビル」:大分県大分市府内町2丁目2
1Fが厨房とカウンターなど、2Fが個室になっていて、ここも家族の誰かが誕生日などの特別な時などに1970年代、1980年代にお世話になった。子供心にはポタージュスープとハンバーグがおいしかったことを覚えている。確か個室はカーテンなどで間仕切り調整できるようになっていて、これまた子供心に、隣室の客でカーテンがゆらゆら揺れるのが楽しかった?記憶がある。フォークやスプーンで食べるのが難しい子供にとって(またそんな子を持つ親にとって)個室というのは作法などの点で他人を気兼ねなく食事を楽しむことができ、品格と格式がありながらも庶民派の洋食屋さんだった。1967年から営業し、1972年に府内町のこの店舗に移転したとのこと。2011年に43年間の幕を閉じたとのこと。ごちそうさまでした。ありがとうございました。

焼肉どっとん

愛隣幼稚園の近く、南太平寺16組辺りにあった「焼肉どっとん」。今あるのか定かではないが、欧米人のような(でも日本人男性の)店長さんが印象的だった。こちらも家族の誰かかが誕生日の時などに食べに訪れた。1970,1980年代の話。

トキハの「さぬきうどん」

どうやらここももう無くなってしまったのかもしれない。昔、1970年代~1980年代中盤?くらいまでトキハデパートの地下食品売り場の一角で、カウンターと少々の向かい席だけの縦長の狭い店舗で営業してて、その後、トキハ会館ができたと同時に会館のほうにそのまま移転した「讃岐うどん」。店名は確か「さぬきうどん」オンリーだった気がする。トキハに買い物に行った際などに母親とよく立ち寄ったお蕎麦屋さんで、いつもうどんではなく、「海老天そば」などのざるそば系や、たまにお稲荷さんも注文していた。コシのある太面系のそばが大好きだった。そばといえば今でもこのトキハの「さぬきうどん」を思い出す。
接客される年配の女性が小さい頃から訪れていた筆者をよく覚えてくれていて、行く度に「大きくなったねぇ」などと話しかけてくれた。入口の、よくあるタヌキが立った像が子供心に印象的だった。もしかしたら今は「実演手打ちうどん 杵屋 大分トキハ会館店 」に変わってしまったのかもしれないが、その辺りは定かではありません。
■なんだか今回トキハと書いたらこの音楽↓が頭に中にふっと沸いてきてしまいました。
www.youtube.com/watch?v=zkD7TRmRLRw
トキハといえばトキハ名物「五時の市」、そしてそのBGMの「ペルシャの市場にて」
この音楽を聴きながら「さぬきうどん」で蕎麦食べてました。これを聴く度にいつでもどこでも、世界の地の果てでもトキハデパートを思い出してしまいます(笑)。
この激変の時代に何十年も営業し続けているトキハ・デパートはすごいですね。敬服と郷愁の想いでいっぱいです。

諸行無常。大分も一時も止まらず変身し続けていることを、過去を思い返した今日改めて実感しました。

それにしても日本はいろんな食べ物が何十年にも渡って食べることができている幸せな国だとつくづく思います。海外ではとてもこうはいかない国も多くあり、また、これからようやく1970年代の日本レベルになろうとしているアジアの国々も多くあり・・・いろいろ考えさせられます。

上記店舗のみなさん、ごちそうさまでした。そしてありがとうございました。いただいた思い出と栄養は、今でもしっかりと私の中で息吹いています。


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